大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

宮崎地方裁判所 昭和32年(ワ)28号 判決

原告

黒木弘

外一名

被告

株式会社志田組

主文

被告は、原告等に対し、金二十萬円及びこれに対する、昭和三十二年二月十七日以降完済に至るまで、年五分の割合による金員の支払をなせ。

原告その余の請求は、これを棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

(省略)

理由

原告夫婦の三男で、小学校三年生であつた訴外亡黒木健二郎が、昭和三十一年九月五日死亡したこと、同日午後四時頃、右健二郎が他の学友四、五名と共に、宮崎市栗山町二丁目の道路上において、野球をして遊んでいたこと、同時刻頃、訴外川崎政壮、米良厚の両名が、右道路東側の被告会社の作業場において、被告会社の業務として、鉄管移動作業に従事していたことは、いずれも当事者間に争いがない。

先ず、訴外亡健二郎の死亡が、訴外川崎、米良両名の行為に起因するものか否かについて審究する。成立に争のない甲第五号証、同第六、七号証の各一、二、同第八、第十号証及び乙第一号証に証人川崎政壮、米良厚(各第一、二回、但し第二回の分は後記措信しない部分を除く)、同星野孝俊の各証言を綜合すれば、右訴外人両名は前同日前記作業場にトラツクで運搬して来た四十本の鉄管を約二十米を距てた右作業場の略々中央部に移動して整頓する作業に従事し鉄管の前方を訴外米良において、その後方を訴外川崎において、夫々右肩に担いで一本宛運搬し、移動先に至つたときは、右川崎の掛声を合図にして、右側に投げ下していたが、最後の四十本目の鉄管を運搬し、右川崎の合図で、右側に投げ下した瞬間、右健二郎が、鉄管の移動先附近に飛んだ野球のボールを追つて走つて来たところ、右訴外人等によつて投げ下された鉄管が、下の鉄管に当つた反動ではね上り、その鉄管の後部が右健二郎の身体に触れ、そのため、同人は転倒して右季肋部打撲、右背部打撲擦過傷の傷害を受け、直ちに宮崎市広島通二丁目星野病院において治療を受けたが、右傷害による外傷性シヨツクのため同日午後七時六分死亡するに至つた事実を認めることができるのであつて、右認定の妨げとなる証拠はない。

そこで次に、右訴外人両名の過失の有無につき判断する。右両名が鉄管を移動先において投げ下す時は、少くとも、その左右両側及びその斜後方を見廻して、附近に人気のないことを確かめなければならない注意義務があるというべきところ、前顕甲第六号証の一、二、同第七号証の二に、証人川崎政壮、米良厚(各第一回)の証言を綜合すると、右訴外人等は、最後の鉄管を担いで移動先まで到達し、これを投げ下すに際し、同人等の右側及び右斜後方を見廻したのみで、左側の方は、全く見ないまま鉄管を投げ下したことが認められ、右認定に反する証人川崎政壮、米良厚(各第二回)の証言部分は、前掲各証拠に照して措信せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

しかして、前顕甲第五号証同第六、七号証の各一、二に証人川崎政壮、米良厚(各第一回及び第二回の一部)水元年男の各証言並びに検証の結果を考え併せると、訴外亡健二郎等が、遊んでいた場所と事故現場との距離は、およそ十米前後であり、しかも事故現場から右健二郎等が遊んでいた場所は、南西西の方向にあり、これは右訴外人等が、鉄管を運搬して投げ下す地点及び態勢から見れば、まさに同人等の左側若しくは左側斜後方にあたること及び本件事故当時は、前記作業場の南側には柵がなく、従つて健二郎は、ボールを追つて作業場内に真直ぐ走り込んだであろうこと(即ち右訴外人等の左側ないし左側斜後方から、真直ぐに走つて来たであろうこと)並びに右鉄管の重さは十五、六貫程度のもので、それを投げ下す際に左側にも注意することは、さして困難でなかつたことを認めることができる。従つて、若し右訴外人等が、最後の鉄管を投げ下す際に、同人等の左側ないし左側斜後方を見廻したとしたら、健二郎等が遊んでいた位置と事故現場が、およそ十米も離れていたことに徴し、健二郎がボールを追つて、右訴外人等の方向に走つて近付いて来ていたことに充分気が付いていた筈であると考えられるのである。

以上認定の諸事情を綜合すれば、最後の鉄管を投げ下すに際し、右訴外人両名は、同人等のなすべき前記注意義務を怠つた過失があつたものと謂わなければならない。

被告は、右訴外人等の選任監督につき、相当の注意をなしたから民法第七百十五条第一項の損害を賠償すべき責に任ずる理由はないと抗争するが、右主張を肯認するに足る証拠はなく、却つて、証人水元年男の証言によれば、本件鉄管移動作業を、監督すべき地位にあつた同訴外人は、本件事故発生の可成り前から、作業現場を離れて、右両訴外人による危険な作業に対して必要な指示を与えることを怠り、本件事故が発生した際にも、作業場に居なかつたことが認められるので、被告の右主張は、到底採用することはできない。

ところで、右健二郎の不慮の死によつて、その両親である原告等において多大の精神的打撃を受けたことは当然というべきであるから、被告は、右訴外人等の使用者として、原告等に対し、右精神的損害に対する賠償をなすべき義務あることは明らかである。

そこで進んで右損害賠償の額について審究すると、被告は、この点につき、本件事故の発生は、前記訴外亡健二郎の過失によるものでもあり、更にその両親である原告等の監護上の過失によるものでもあるから、賠償額を定めるにつき斟酌さるべきである。と主張するので、先ず按ずるに、右訴外人両名が鉄管を投げ下した瞬間に、訴外亡健二郎がボールを追つて、その場に飛び込んで来たことは、前段認定の通りであるところ、前顕甲第六、七号証の各一、二に、証人川崎政壮、米良厚(各第一回及び第二回の一部)の証言を綜合すれば、本件事故発生前にも野球のボールが、二、三度作業場内に飛び込み、そのボールを追つて、右健二郎が作業場内に這入つて来たことがあつたので、右訴外人等は、その都度に「危いから作業場内に這入つて来てはいけない。」と注意したことが認められるし、右健二郎は当時小学校三年生で、右訴外人等の注意を理解する能力を有していたものと考えられるので、本件事故の発生は、一面において右訴外人等の注意を守らないで右作業場にかけ込んで来た被害者健二郎の過失によるものといわざるを得ないのである。

しかして成立に争のない甲第一号証、同第十四号証に原告黒木弘本人訊問の結果を綜合すると、原告弘は、宮崎県技師として県農地開拓課に勤務し、月収約二萬円を得ており、住家一棟を所有していて、原告キミとの間に右健二郎の外一男一女があつて、特に裕福とはいえないにしても中流程度の生活をしていること及び被告は、土木建築工事の請負を目的とする資本金八百萬円の株式会社で、相当広範囲に事業を経営していることが認められるので、これら諸般の事情に前認定の原告側の過失の程度を斟酌するときは、原告等に対する慰藉料は、金二十萬円をもつて相当とするものというべきである。

仍つて、原告等の本訴請求は、金二十萬円及びこれに対する本件訴状が、被告に送達された日の翌日であること記録上明かな昭和三十二年二月十七日以降完済に至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由ありとしてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 長友文士 岡村治信 天野弘)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例